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イロマチディープ・チャイナ

裏風俗、心霊スポット、憩いのバーなど、中国のディープスポットをご紹介。中国の釣り情報やコラムも書きます。

風俗に行くことはポリティカル・コレクトであるということ

風俗産業とは、巨大だ。世界193カ国の全てに広がる風俗産業は、食糧やエネルギーと同じ程度に「普遍的」な産業であり、そこまで巨大で普遍的だのに、風俗産業で為されることと言えばただの「射精」だ。

風俗産業がここまで巨大な風俗産業なことから考えるに、性欲や射精欲という根源的欲求は偉大らしい。我々は斯くも偉大な性欲を持っている。では、この性欲をどう使うべきなのだろうか。それが本稿のテーマだ。

 

風俗で遊ぶという社会貢献

 結論から書く。読者が青年でも壮年でも老年でも、「風俗で遊べ」だ。それは、私が掲げる倫理の名の下に行わなければならない義務なのだ。読者諸兄姉らは、偉大な性欲を「社会貢献」の為に一つ使ってみるべきだ。

奇怪に思われるかも知れないが、私の倫理に則れば、風俗で遊ぶことは社会貢献なのだ。どうしてそれが倫理になるのか。

「風俗嬢というのは貧しく地位が低い人々だから、そこに資金を還流させることは格差是正になるため」と考えた読者もいるだろうが、それは私の意図するところではない。

その答えは、我々は「風俗産業の人々を知らないから」だ。

もしも、既に風俗産業で数十年の勤務経験もあるような人なら、むしろ一般企業のサラリーマンを知りに行くべきだとは思うが、我々一般市民からすれば、さして詳しい人々ではない。それでいて、古今東西の歴史で悲しさを積み上げてきた職業集団なのだ。誰でも遊郭にまつわる「哀史」の一つ二つくらいは聞きかじったことがあるだろう。だから、知るべき人々の中で優先順位が高いのだ。

知らない人々、違う環境の人々を知ることだ。それは民主主義国家の国民たる我々からすれば、同胞たる所の人々を知るという意味に於いて、政治的に正しいことである。何故なら、我々はこれまで知らなかった彼ら、彼女達を知って、投票行動やボランティアなどで我々はその知覚した何事かを社会へ還元することが出来る。だから、風俗産業で遊ぶことはそれに関係する人々を知ることの第一歩であるから、社会的、倫理的に正しいことだと私は思うのだ。

だが、知るということなら、わざわざ遊ぶ必要はないのではないかと思う人もいるだろう。「確かに、風俗産業に従事する人々も我々の同胞だ。私達が彼らのことを知らず、彼らのことを知らなければならないならば、それに関する本を読み、ネットの情報なりで少しでも知ればいいのではないか」

それは甘いと私は思う。ならば、あなたは風俗産業で従事する人々のことを日夜考えて暮らしているのか?こう書く筆者ですら否である。

何故なら、我々は自己に優先してまで他者を愛するようには設計されておらず、たとい風俗産業に問題意識や関心がある人でも、すぐに忘れてしまうからだ。中途半端になって反復継続して問題意識を高めていくことが出来ない。あるいは、どこかから適当なロジックを拾ってきて「批判」ないし「容認」の論を打ち立てて、そうして一人で納得するだけだ。より事実に近い理解をするためには、実際に風俗嬢の肌に触って確かめることだ。だから、風俗産業で遊び散らす「常連客」になるべきだと私は思うのである。知るべき人々の日常を私の日常世界にしてしまうのだ。

 

人間愛を実現する偉大な性欲

ところで、私は他者を幸福に出来る人間は立派だと思う。他者を幸福にする形はたくさんある。妻を笑顔にすること、同輩を喜ばせることなど様々だ。そうして、身近の人々を幸福にしても尚、余力があるならば「社会の人々」へ目を向けるべきだ。そうして多くの人々を幸福にする何某のことを「英雄(ヒーロー)」と呼ぶのだろう。

そして、当然のことだが「社会の人々」を喜ばせるためには、「社会の人々」の葛藤や矛盾を先ずは知らなければならない。だが、我々は自らと知人達が「社会の人々」であることは分かっていても、「社会の人々」と呼ばれる抽象概念にはついぞ巡り会ったことがない。つまり、我々は本当のところ、「社会の人々」をまるで知らないのだ。

知り得るはずがない。世界の70億人とそれぞれ話し込むことなど出来る訳がないからだ。せいぜい1万人と話し込むことが出来ればその人の人生はあっ晴れだったと言える程度だろう。我々の人生とは、こうも局限された経験しか得ることは出来ない程に貧しく、短いものなのだ。

それでも、あなたの一票は政治を動かし、人々を傷つけもするし、喜ばせもする。あなたが会社などの組織を持っている有力者ならば尚更だ。あなたが出来ることは、プラスにもマイナスにも世界に対して絶大な影響力を持つ。世界を知らないのに、世界を動かすことが出来るあなたは、どうして毎度毎度の決定に確信を持つことが出来るのだ?さて、我々はどうするべきなのか。

もしも、あなたが世界の人々に真摯に向き合いたいと思うならば、出来る限り多くの人々と出会い、話し、他者を知るように自らを仕向けるより他はない。そうして、常に不完全な決定をより確からしく修正を加えて決定していくのだ。

だが、あなたは「人間を愛するように」生まれた訳ではない。あなたは、自己を犠牲にしてまで他の人々のために何かをやり尽くす程に誠実ではないはずだ。もしも、世界にはそんなにも誠実な人達ばかりが暮らしているのならば、「社会問題」と呼ばれる代物はとうの昔に無くなっていることだろう。だが、人類の文明が誕生して以来、数千年の歴史を経ても社会問題が消失した時代は到来しなかった。

ならば、このジレンマをどうするか。私はこう考える。

「自らに内在する欲望を最大限に発揮して人間愛へ結びつけること」

だ。

聞くところによると、人間の煩悩は108通りもあるらしい。そして、その中に「性欲」はトップ級の強さを誇るものとして位置付けられている。だから、性欲の原動力はとてつもない力を持っているのだ。だから、この力を使って自らを人間愛の方向へ引っ張っていけばいいのだ。私が考える人間愛の作法では、先ずは知ることが必要だ。そうして、私と他者との間に否応なく存在する距離を縮めていくことが出来る。

だから、風俗産業に話を戻すと、「風俗産業で従事する人々」という社会事象について、あなたは性欲を放埓に使用している内に「知ってしまえば」いい。否、知らなければならないのだ。

そういう訳で、私は自信を持って読者諸兄に勧める。

「勃つならば、いけよ風俗」

人間愛の理想を掲げ、日夜女を見て勃起するあなたは偉い人だ。

風俗産業について知るべきだと思ったならば、一度の射精を終えてから一晩二晩もすればムクムクと盛り上がる性欲、射精欲を最大限に活用するべきなのだ。そして、自らの欲望を実現している内に、システマチックに世俗の人々を知ることが出来るようになる。嫌でも何かを見て来ざるを得ないからだ。

そうして、社会への知見を増やして来ることだ。経験と知識が増えて来ると、あなたは人生上の度々の「決断」の場面でその経験を生かすことが出来るようになる。そうして、世界へ良い影響を及ぼすことが出来るようになる。そうなったあなたは、人格者であり「ヒーロー」だと言えるだろう。

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*108煩悩を許す愛染明王。彼は性欲をも許容した。そのため、江戸時代の遊女は愛染明王を信仰し、彼にすがったという。彼は108の煩悩を捨てるのではなく、むしろその煩悩に向かう力で解脱せよと教える。

 

性欲を許すことで許され、救われる人々

愛染明王を信仰した遊女たちが、性欲をも肯定する愛染明王に救われたことは間違いないだろう。身体を売る女は、総じて社会で地位が低い。世間からは白い目で見られるが、売春婦(あるいは「売春」という行為)が存在しなかった時代も歴史もない。そんな悲しい彼女たちを「許す」明王様は、愛に溢れて頼もしくも思えたことだろう。

そして、買う側としても性欲を肯定することによって、彼女たちについての知覚世界が拡大する。我々は全て「清く確かな一票」を始めとした社会への影響力を持っている。だから、我々が先ず彼女たちのリアルへ対して関心を寄せ、実態として彼女たちを知覚することは、世界をより良く改善する方向へ向かうと私は思う。

既に別稿でも書いたように、風俗産業は無くすことが出来ない。それは、社会の矛盾と性欲を払拭し切ることがまるで出来ないからだ。だから、社会の変革を目指すにしても「ゼロかイチか」の発想はナンセンスである。実態を深く知った上で彼女たちの実態に寄り添い、現実を「より良くする」という発想が必要なのだ。

そういった文脈において、「性欲を許し、彼女たちを許す」という第一歩を進めるべきだし、許された性欲は風俗産業へ向かって放たれるべきだ。

それが、「風俗に行くこと(性欲を許すこと)がポリティカル・コレクトである(政治的、社会的に正しい)」と私が思う理由である。

 

さあ、盛ったあなたは色街に出てみよう。そうして、そこに住まう女性たちと彼女たちの物語を愛してきて欲しい。